ブルーライジング第1章1-12
1-12
過去何人ものヒーローがポイズントードの犠牲になってきた。
それは今でも続いている悪しき慣例でもあった。
大金をつぎ込むスポンサーからアンケートを取り、最も投票数の多かったヒーローが
ポイズントードの生贄としてこのリングに立たされる。
そして今の蒼汰と同じように、屈辱を味わう。
過去、マックスボマーもこのリングに立ち、屈辱を嫌というほど味わった。
いつも憎まれ口しか叩かない蒼汰がすすり泣く姿を見て、
マックスボマーは胸が熱くなった。
腹の底から怒りがこみ上げてくる。
…よりによって蒼汰を…
解毒と治療を施し、眠る蒼汰を見つめながら、マックスボマーは奥歯を強く噛み締めた。
どのみちいつか決着をつけなければいけない相手だ。
戦士の目に変わったマックスボマーは眠る蒼汰の傍を後にした。
「いやぁ…久々にビビったぞオレは!」
ポイズントードに汚されたコスチュームを洗おうと水に浸した瞬間、
あっという間にどす黒くなった。
それまで蓄積していた汚れも一斉に放出され、水から臭いが立ち上ってくる。
「…それ、洗えたのか?」
マックボマーが大きなたらいで、せっせとコスチュームを洗っている。
蒼汰はその光景を隣で眺めていた。
いつも履いていたアンダータイツも水の中。蒼汰はジャージを羽織っている。
「…ソウタ、これはお前のコスチュームだよな?」
あん。
蒼汰は生返事を返してきた。
「今まで全く洗ってなかったのか?」
うん。
蒼汰はどす黒い水を見て、頷く。
いや…よく考えろマックスボマーよ。ソウタは毎回試合の後大けがして、寝込んでるし…
マックスボマーは自分を説得していた。
すると、もう一つの疑問が浮かぶ。
「ところで…お前はなんで突っ立って見てるんだ?」
「ん」
蒼汰は包帯に包まれた両手を突き出した。
「せめて…せめて…ありがとうございますとか…ホラっ!」
マックスボマーはたらいの水を交換しながら叫んだ。
「ありがとぉございます」
棒読みで返ってきた答えにマックスボマーの身体は震えていた。
いや…これもヒーローとしての仕事だ…っ!!
弟子は酷い目にあったんだし…!
オレはヒーロー…オレはヒーローっ!!
マックスボマーはしきりに繰り返しながら、蒼汰のコスチュームを何度もすすいだ。
その間、蒼汰はずっと傍を離れなかった。
「この際だ。新しいのに変えるか?」
レガースを袋に入れ、持ち出した温風器を当てながらマックスボマーは言った。
ニーパットもレガースも試合のダメージでボロボロになっていた。
ほぼ、本来の役割を果たしていないだろう。
蒼汰は膨らむ袋を見つめながら、首を横に振った。
「…これでいい」
ここに連れてこられた時に渡されたコスチューム。
ずっと自分と一緒に戦ってきた相棒を捨てるのは、蒼汰にはしのびなかった。
タイツもよく見れば、小さい穴や、ほつれが目立つ。
マックスボマーはそれ以上何も言わなかった。
「さて…コスチュームが乾くまでは、お前はオフだ」
「お麩???」
蒼汰が眉毛をしかめて聞いてきた。
「なんで俺が麩なんだよ」
ん???
袋を開け、レガースとニーパッドを陰干ししながら、マックスボマーは蒼汰の答えに
目を丸くした。
「ソウタ…もしかしてお前が言ってるのは食べ物のお麩の事か??」
「…それ以外に何あんだよ…」
口をとがらせて蒼汰が言った。
「ゴホン…休みだ」
「休みぃ???」
ソウタ…ちょっと今のは可愛かったぞ!!
意外な発見をしたマックスボマーが頷く。
「ココに来てからお前はトレーニング、試合、怪我しかしてないだろう?」
丸太のような腕を組みながらマックスボマーは言った。
渦中の蒼汰はイマイチ反応が薄い。
「怪我も治りつつあるようだし、ちょうどいい機会だから、休め」
「はぁ…」
指で鼻を擦りながら蒼汰は返事をした。
そしていざ当日。
いつもと同じ時間に目が覚め、いつもと同じ時間に食堂へ行き、
いつもと同じ時間に食べ終わった。
後は全て空白である。
意を決した蒼汰はレスリングシューズを履き、手首にテーピングを巻き始める。
あと残っているのはトレーニングしか無い。
その時、自室のドアを力強く開け放つ音と風が吹いた。
「ソウタ!!いるか!!!」
何事かと声の主を見る。
そして目を丸くした。
いつもの赤と青のスーツではなく、Tシャツとジーンズ姿のマックスボマーが立っていた。
「な…なななななな」
色々言ってやりたいことはあるが、言葉にならない。
「どうした?なんか変なものでも出たか?」
「な…なんだよその格好!?」
蒼汰は指差して叫んだ。
マックスボマーは何を言っているかわからず、しばらく間が出来た。
「なんだとは…なんだ?オレだってプライベートくらいあるゾ?」
蒼汰の言いたいことを理解したマックスボマーは仁王立ちしながら言った。
「オレは考えた…そして良いことを思いついたんだ」
気になるだろ??ともったいつけて蒼汰に問いかける。
「別に」
瞬殺だった。
「いや…まてソウタ。お前、街に出たこと無かっただろう?」
それでな…
「このマックスボマーが直々に街を案内してやろうと思ってな!!」
野太い親指で自身を指差し、マックスボマーは言った。
マスクから白い歯を見せてドヤ顔でポーズを決める。
聞いていた蒼汰の反応は複雑だった。
「どうした?何か問題でもあるのか???」
マックスボマーはマスク越しに眉毛をヘの字にして問いかけた。
蒼汰はずっと斜め下を向いている。
「言いたいことは率直に言うんだソウタ」
「…がねぇ」
ん?
マックボマーはマスクに隠された耳を傾ける。
「金…持ってねぇ。それに…」
自分の立場はなんとなくわかっている。
「オレ…外出ていいのか?」
いつもの噛み付くような目とは違い、戸惑いの目で蒼汰が訴えかけてきた。
う…こんな…
こんなヒーロー心をくすぐるような目でオレを見るな!ソウタ!!!
マックスボマーは蒼汰に近づき、しゃがみこんだ。そして両肩をガッチリと掴む。
「心配するな!全てこのマックスボマーにまかせておけ!!!」
心の炎が盛大に燃え盛ったマックスボマーは蒼汰を力の限りに揺さぶった。
「よし!しっかり捕まってるんだぞ!!」
地下にある駐車場には爆音が鳴り響く。
ジャージを着た蒼汰はマックスボマーに連れられ、ヘルメットを手渡された。
「…お前はつけなくていいのかよ?」
「ヒーローは特別だ!」
いつものマスクのままバイクにまたがり、マックスボマーはアクセルを回した。
爆音を轟かせながら、通路を登ると眩しいほど、光が降り注ぐ。
「…うわあ…」
何もかもが新鮮だった。
真っ青な空の元、立ち並ぶいくつものビルや建物。
通りに等間隔に植えられた木々には草木が生い茂り、たくさんの人と車が行き来している。
蒼汰はまるで別世界に来たかのように辺りを見回していた。
外の世界。
今の自分とは切り離されていた景色が広がっていた。
「振り落とされるなよ!!」
爆音に負けない大音量でマックボマーの声が入ってきた。
そのまましばらく街を流す。
ファイブスターがあるこの地域は街の発展度が別格だった。
通りを超え橋を渡ると、大きな海が広がっていた。
風にのって潮の香りが鼻をかすめていく。
暖かい陽気とマックスボマーの熱気に身体を抜ける風が心地いい。
「すげぇ~!」
蒼汰は目を輝かせながら移り変わる街の景色を楽しんでいた。
ショップが立ち並ぶ通りでマックスボマーはバイクを停めた。
「見てみろ」
ヘルメットを脱ぎつつ、蒼汰は指が指し示す方に目をやった。
「あれが俺達がいるリング。ファイブスタースタジアムだ。」
遠くからでも見て取れるスタジアムはこの街の象徴だった。
だが、蒼汰がいるのはあの華々しい場所ではない。
「すごいだろ?あの栄光を求めて、多くの若者がファイブスターに入ってくる」
マックスボマーはスタジアムを見ながら言った。
だが、その顔はいささか険しいようにも見えた。
「光が強ければ色濃い影を落とす。この街やお前のようにな」
スタジアムをまっすぐに見つめ、マックスボマーは言った。
無意識に拳を強く握りめる。
「フム。らしくない。さぁ行くぞ!」
「うん」
マックスボマーは二度三度と蒼汰を確かめた。
コイツは…本当にソウタなのか???
光が照りつける蒼汰の顔は色黒で傷だらけだったが、まるで別人が隣にいるようだった。
「…なんだよ」
「いや…なんでもない!」
いっつも…いっつもこうだったらどれほど可愛いかっ!?
毎度口をひらけば憎まれ口を叩く蒼汰も嫌いではないが、こっちも良い…
日々トレーナーとしてちょっぴり苦悩するマックスボマーは、顎に手を当て
ブツブツとゴチていた。
「…変なヤツ」
蒼汰はそう言うと、物珍しそうに辺りを見渡していた。
「マックスボマーだ!」
この街にいるものでその名を知らない者はいない。
道を歩いても、店に入ってもマックスボマーの周りには人だかりができる。
「ハハハ!皆っ!いつも応援ありがとう!!!」
そう言って親指を力いっぱいつきたて、笑顔を見せる。
若者が寄ってきては握手を交わし、恥ずかしがる女子にサインをする。
駆け寄ってきた子供を抱き上げ肩車をし、一緒に写真におさまる。
ファンサービスを器用にこなしながら、マックボマーは通りを歩いていった。
蒼汰は物珍しそうにその様子を見ていた。
ヒーロー。これがヒーローか。
一時たりとも気を抜かず、マックスボマーは人々が望む姿を見せ続けていた。
いつもウルサくて、ムカつくぐらい強いクソ野郎。
例え目一杯手を伸ばしても、俺には届かない。
…俺はコイツのようになりたいんだろうか???
遠くからマックスボマーのファンサービスを見ながら、蒼汰は心に引っかかりを
感じていた。
ある店にたどり着くと、警備員が駆け寄ってきて別の入口から店に通される。
「とりあえず、彼に合いそうなものを持ってきてもらえるか?」
豪華な一室に通され、ソファに深く腰を沈めながらマックスボマーは言った。
「…座らないのか?」
蒼汰はどうしていいかわからず、ずっと突っ立っていた。
「な…なんかザワザワするっ…」
ソファに座り、ソワソワとしている姿を見てマックスボマーは笑った。
「てめぇ!何笑ってんだよっ!!」
蒼汰は悔しくなり、未だ笑っているマックスボマーに吠えた。
そこにいくつものラックにかけられた服が運ばれてきた。
「…ウーム、これもいいが、イヤ…こっちか???」
ジャージをひっぺがし、裸にした蒼汰へ、マックボマーは次々に服をあてがう。
背は低いが、色黒で筋肉質。そして黒々とした髪の毛はしっかりと刈り込まれている。
暗い色を着せればガラが悪くなり、明るい色を着せると妙に子供っぽくなる。
自らがCMに出ているスポーツメーカーは機能性に優れデザイン性も高い。
何より多少雑に扱ってもタフで長持ちだ。
バリエーション豊富な洋服相手にマックスボマーは唸っていた。
「…ソウタ、これだな!」
そう言って手渡されたものを蒼汰は珍しそうに眺め、袖を通していった。
鮮やかなブルーのジップパーカーは伸縮性があり、適度なフィット感を持ちながらも
オールシーズンで使える。
鍛え抜いた蒼汰の太い足にはライトブラウンのカーゴハーフパンツで若々しさと逞しさを
アピール。
元々色黒で日に焼けた肌に爽やかな青は栄えた。一見すれば一流のアスリートのようだ。
久しく服らしい服を着ていなかった蒼汰は絶えず腕や肩を曲げ伸ばし、
ポケットに手を突っ込んだりしていた。
「やはりお前は青だなソウタ!」
マックスボマーはそう言って、スニーカーと対になる黒と白のバイカラーでデザインされたキャップを被せた。
当の蒼汰は恥ずかしそうに珍しくもじもじとしている。
その反応を楽しんだマックスボマーは他の何点かを一緒に買い込み、
蒼汰のために買ったリュックに詰め込んだ。
「オレ…金なんてねぇよ?」
少し汗ばんだ蒼汰がぼそっと言った。
「お前は無くてもオレがある!!」
マックスボマーはそう言うと、カードを店員に手渡した。
「さぁ次行くぞ!」
真新しい服に身を包み、再び街へ出る。
相変わらずマックスボマーは道すがな笑顔とサインを振りまいていた。
ゲームセンターの対戦ゲームで白熱し、いつの間にかギャラリーに囲まれていた。
バイキングスタイルのレストランではテーブルに乗り切らないほどの量を二人で平らげた。
バイクにまたがって野球の試合を観に行き、水平線に沈む夕日を走りながら眺める。
街中で行われていた路上ライブはマックスボマーの登場でなし崩しになり、
気まずさのあまり、走ってその場を後にした。
屋台街で夕飯をがっつき、高台にある公園に行き、夜に輝く町並みを眺める。
蒼汰は好奇心に目を輝かせ「アレは?あっちは??」と聞いてくる。
マックスボマーは歓喜で身体が震えていた。
「寒いのか?」
蒼汰はリュックからジャージを出してマックスボマーに手渡した。
ソウタよ…オレは今死んでも良いと思えたぞコノヤロウ!!
明らかにサイズの合っていないジャージを羽織り、マックスボマーは目を閉じた。
今のシーンを脳内でリピートしてじっくり噛みしめる。
だが、所詮これはフェイクな世界である。今の蒼汰にこの世界を掴み取る力は無い。
マックスボマーは未だ街を眺める蒼汰の背中を見つめていた。
夢ならいくらでも見せることが出来る。それが深い影にわずかでも光となる事を願って。
「さて…楽しい時間には終わりがある。そろそろ戻るぞ」
蒼汰は景色を見たまま、返事をしなかった。
「…戻りたくなくなったか?」
その問いに蒼汰は首を振る。
自分がこの街で生きていく場所は、あそこ以外に思いつかない。
「…その…」
振り返り、蒼汰は鼻を指でこすった。
そうか…これは迷っているサインなのか。
試合でも蒼汰の動きが鈍る前に必ずやる癖だった。
「あ…ありがと…う」
マスクに隠された耳がピンと張った。
ナニ?なんと言った今???
「ん?」
わざとマックスボマーはリピートを要求した。
「だ…だから!ありがとうって言ったんじゃねぇかよっ!!」
蒼汰は言い放ち、キャップを深くかぶり直した。
マックスボマーは目を丸くした。
ソウタ…なんだったらオレの胸に飛び込んで来たって良いんだぞっ!さっ!カモンッ!!
マックスボマーは思わず筋肉に覆われた両手をスタンバイしてしまった。
苦戦した試合に勝利した時と同じ快感が全身を駆け巡る。
だがソウタはキャップを深く被り、全くコチラを見ていない。
マックスボマーはさり気なくスタンバイしていた両手を解いた。
勝利アピールでスカった時のようだ。
「また…連れてきてやるさ!」
気持ちを切り替えたマックスボマーは親指を突き立てて言った。
事実、蒼汰の外出が許されたのは、監視の目が着くという条件がついたからだった。
本来、蒼汰は表に出してはいけない存在である。
「さて…帰ると…」
マックスボマーはそう言いながら目下に広がる街を見た。
「どうしたんだよ?」
じっと街を見ながら動かなくなり、声をかける。
「蒼汰…ちょっと寄り道していいか?」
「あ?うん」
クッ!!録音しとけばよかった!!!
マックスボマーは思わず拳を握りしめた。
そして太い首を横に高速で振る。
「いかん!いかん!急ぐぞソウタ!!」
「オイ!ちょっと待てよ!!!」
馬のように走り去るマックスボマーを蒼汰は追いかけていった。
緊迫した空気にその場は静まり返っていた。
人質を取られた上に、銃まで。
いつからこの街はそんなに物騒になった?
警官は誰にもわからないようため息をついた。
「おとなしく人質を開放しろ!お前は既に包囲されている!!」
若い警官が使命感の名の下に、犯人を逆上させるような事を口走った。
オイオイ…ドラマじゃねぇんだぞ…
目をギラつかせながら、拡声器越しに叫ぶ姿を中年刑事は冷めた目で見ていた。
さて…
どうしたものか。
そう考えていると野次馬の声が耳に入る
「今日、ヒーロー見れるかな?」
オイオイ、事件はショーじゃない。
確かにヒーロー達は事件解決に一躍かってくれている。
実際、彼らの能力は優れており、自分たちよりも結果を残している。
だが、渦中にいる人物からすれば冗談では済まない。
渋い顔をして、刑事は野次馬を追い払った。
そこにバイクの爆音が鳴り響いてきた。
空中に影が出来、何かが近づいてくる。
上空で身体を器用に丸め、現場の真っ只中に降り立った人物は、Tシャツにジーンズという
ラフな格好だった。
服を破らんとするほどの筋肉に覆われた身体は、身のこなしが想像できないほどに大きい。
男の頭部は赤と青に彩られたマスクに覆われ、燃えるような赤い髪の毛が逆だっていた。
「あんたか…」
顔なじみの巨体に警官はそっけなく言った。
「おやっさん!遅くなったな!」
呼んでねぇよ。
そう言ってやりたかったが、きっと遅かれ早かれ目にすることになっただろう。
いつも事件が起きれば真っ先にやってくるヒーロー、マックスボマーだ。
「エライ普通の格好だな」
「今日はオフだったものでね!」
犯人を見つめながらマックボマーは言った。
「ちっ近づくなよっ動いたら撃つぞ!!」
そういって犯人は人質として捕らえている女に銃口をくっつけた。
マックスボマーは返事をせず、ゆっくりと両手を挙げる。
「…望みは?」
「…金だっ!!金をよこせ!!!あと車もだっ!!!」
「なぜだ?」
マックスボマーは問い返した。
「お前みたいに何の不自由もしてねぇヤツなんかに言ってもわかるかよっ!?」
これだ。これがこの街の影。
マックスボマーは積極的に犯罪の制圧に関わっている。
自分は純粋な正義でありたい。その志の下に。
正義とは、悪を倒すだけでは無い。
本当の正義とは、光と影の均衡を取り戻す者の事だ。
光が強ければ影は濃くなる。
影になった部分が暗闇に覆われるように、そこにいれば全てが暗闇に包まれてしまう。
何の不自由も無く…
確かに傍目からみればそうなのだろう。欲しいものは望めば手に入り、こうして余暇を
楽しむ事も出来る。
だが、果たしてこの男は言うほど不自由なのだろうか?
金と車。
例えその2つが手に入ったとしてもおそらく男の望みは叶えられないだろう。
奪った物は必ず誰かに奪われる。
過去何度となく見てきた結末は、いつも同じだった。
犯人が銃を持つ手は明らかに震えていた。
「…握ったことの無い武器を握りしめる先に、本当にお前の望むものはあるのか?」
マックスボマーは静かに問いかけた。
「うるさい…っ!!本当にコロすぞこの女っ!!!」
差し迫った何かがある…マックスボマーは慎重に言葉を選んだ。
やろうと思えばいつでもやれる距離を保持したまま。
マックスボマーだ!
やった!ヒーローが見れた!
おっきい!カッコイイ!!
野次馬たちは悪と対峙する正義のヒーローをスマホにおさめた。
「…おやっさん…いつも済まないが…」
振り向くこと無くマックスボマーは言った。
仕方ねぇ。これが仕事だ。
おやっさんと呼ばれた中年刑事は周囲にいる警官たちに目で合図をする。
そして、人だかりは次々に解散させられていった。
実力だけは認めている。
自分以外の血を一滴も流さずに事件を解決する無血のヒーロー。
求められる側故に、実に繊細で、したたかで、実直に犯人と向き合う。
警官が、後はませようとした時だった。
遠くから悲鳴が聞こえる。
「ど…どいてくれぇっ!!!!」
悲鳴にも似た声で、それは爆音を轟かせながら向かってくる。
何事かと全ての目がそちらに向いた。
急にバイクの運転を任され、慌てふためくのはブルーのパーカーを羽織った蒼汰だった。
ハーフパンツから覗く脚は随分とたくましい。
ハンドルを握りしめてはいるが、脚がブレーキペダルに届いていなかった。
「ぶつかる…ぶつかる…ぶつかるッッ!!!!!」
蒼汰は思い切り目をつぶった。
バイクもろとも壁に激突し、蒼汰の身体が吹き飛んだ。
地面に叩きつけられた身体は勢い良く転がる。
「…なんだ運転出来ないなら初めから言えばいいものを…」
マックスボマーは腕組みをしながら、うつ伏せに倒れる蒼汰を眺めていた。
飛び込んできた緊急事態に犯人も呆然としていた。
銃を突きつけられていた女も思わず口を塞ぐ。
その隙をマックスボマーが動いた。
猛然と走り、人質になっていた女を抱えると、壁を蹴り上げ宙を舞い、
元の位置に戻ってきていた。
「怪我は?」
抱えられた女は光悦とした表情で首を横に振った。
犯人はハッとして、われに帰ったが、時は既に遅かった。
切り札をあっさりと取られ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「クッ…コイツのせいでっ」
なんとしても今日までに金がいる。
じゃないと…
焦りと怒りは地べたに伸びている蒼汰に向かった。
「余計な事しやがって!!」
そう言って蒼汰の腹を思い切り蹴り上げた。
ヤケになり、銃口を向ける。
次の瞬間、自分が壁にめり込んでいた。
間近で骨の砕ける音が響く。
犯人がいた場所に立っていたのはマックスボマーだった。
拳を強く握りしめ、筋肉が大きく膨張し、血管が浮き出ている。
マスクに隠された歯をむき出しにし、ギロリと犯人を睨みつけた。
初めて見る表情に中年の刑事も唖然とした。
尚怒りのおさまらないマックスボマーは悶える犯人に詰め寄り、胸ぐらを掴み上げた。
「…オイ、一つだけ教えといてやる」
頬骨が砕けた犯人は目に涙を浮かべていた。
「血反吐吐いて生きてるのはお前だけじゃないんだ…お前の事情をアイツに
なすりつけんじゃねぇ!!」
耳元で吠え目を見開く。鬼の形相でマックスボマーは犯人を片手で尚キツく締め上げた。
犯人はとうに気を失っていた。
未だ犯人を許すつもりが無いマックスボマーの耳に銃声が鳴り響いた。
マックスボマーは音の方に目をやる。
そこには空に銃を向けた中年刑事の姿があった。
銃口からは煙が立ち上っていた。
「…マックスボマー。お前に認められているのは犯人を取り押さえるまでだ…
断罪は許されない」
まっすぐにマックスボマーを見て刑事は言った。
その言葉にマックスボマーは乱暴に犯人を投げ捨てた。
刑事はマックスボマーに近づく。
「…お前が今見てやるべきはアイツだろ?」
目を覚まし、むせている蒼汰を指差し、そう言った。
「後は任せろ。なに、誰も見ちゃいねぇよ」
刑事はそう言って、汗ばむ大きな背中を軽く叩いた。
マックスボマーは目を閉じ大きく深呼吸をした。
「…大丈夫か?」
蒼汰へ駆けより、ヘルメットを外す。
虚ろな目で蒼汰が空を眺めていた。
徐々に意識が回復する
「あ…オレ…」
いって!
蒼汰は顔を歪め、犯人に蹴られた脇腹を押さえた。
マックスボマーがその箇所をめくり、地肌を確認する。
「…大丈夫だな。折れては無い」
しばらく悶えるが、ほどなくして蒼汰の顔は平静を取り戻していく。
「立てるか?」
そういって蒼汰の腕を掴み、グイッと引き上げた。
蒼汰は首を振り、身体を動かし調子を確認する。
そして…
「てめぇっ!!!何急にいなくなってやがんだよッ!!!」
歯をむき出しにして吠え、マックスボマーに詰め寄った。
今にも投げ飛ばそうとする気迫だ。
「ソウタ…」
マックスボマーは静かにそう言い、自分をつかむ両手を閂で締め上げた。
そしてその場でキレイな弧を描くと、蒼汰の身体は背中から地面に叩きつけられた。
「ガッハァッ!!」
両手を塞がれた蒼汰は背中と足で受け身を取るが、衝撃と激痛に呻いた。
ブリッジから体勢を戻したマックスボマーは両手を軽く払う。
「スマンスマン!!ハハハハッ!!!」
腰に両手を添えて高らかに笑った。
もんどりうちながら蒼汰は起き上がる。
「テメェ…普通に投げやがって…っ」
今のが一番痛かった。
背中を駆け巡る痛みに顔を歪め、蒼汰は唸った。
「当たり前だ!オレはスープレックスヒーローだぞ!」
そう言ってまた高らかに笑う。
「ていうか、なんで急に飛んでったんだよ?」
何を言ってもムダなのはもう身にしみている。
釈然としない悔しさを必死に押し殺しながら蒼汰は立ち上がった。
「ウム。事件の匂いがしてな!無事解決だ!」
二人の脇を刑事に抱えられた人物が通った。
ふとマックスボマーと目があった。
奥深い憎悪の目で犯人はマックスボマーをじっと見つめていた。
そうだ。それでいい。恨むならオレを恨め。
マックスボマーは目線を外すこと無く、正面から男の憎悪を受け止めた。
「ああっ!!!」
男が通り過ぎ、今度は蒼汰が叫んだ。
見れば今日買ったパーカーを脱ぎ、背中を見つめている。
「どうかしたのか?」
「穴あいた…」
ひどく落ち込んだ様子で蒼汰は呟いた。
「心配するな!また新しいのを買ってや…」
「ダメなんだ!!!」
マックスボマーの声を蒼汰は遮った。
「これじゃなきゃ…ダメなんだ」
蒼汰はパーカーを大事そうに握りしめながら言った。
泣いていいか…ソウタ。オレは今大声で泣きたいゾ!
こみ上げてくる涙をマックスボマーは空を見上げぐっとこらえた。
今日はいつもより星がキレイだった。
「さすが我が愛車!オレに似てナイスタフガイ!!」
「バカで頑丈なだけだろ?」
派手に激突した割に、少しの傷がついただけで、バイクに異常は無かった。
バイクから降り、ヘルメットを取った瞬間、蒼汰は駐車場でドロップキックをくらい、
後方に吹き飛んだ。
「ヤルかコノヤロウッ!!!」
そう言うと蒼汰はパーカーを脱ぎ捨て、ファイティングポーズを取る。
「全く…レスラーたるもの、戦うのはリングの上だけだろう??」
やれやれといった風にマックスボマーが言った。
「テメェが先にけしかけてきたんじゃねぇかよっ!!」
蒼汰は指をさして叫んだ。
あぁ…あの素直な蒼汰はどこに行ったんだろう…
マックスボマーはガルルルと唸る愛弟子を適当にあしらいながらため息をつき、
そして笑った。
部屋に戻った蒼汰はベッドに転がりながら、ずっと青いパーカーを眺めていた。
「…へへへ」
これを見てると、外の世界を思い出せる。
蒼汰は屈託のない笑顔で笑っていた。
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